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高田藩記録

全178冊(第1部不明)のうち109冊の本文を上越教育大学リポジトリから公開しています。(2014年12月現在)

「高田藩記録」について / 浅倉 有子(社会系コース教授)

本学附属図書館所蔵の「高田藩記録」は、旧新潟大学教育学部附属高田分校から本学附属中学校に移管され、その後附属図書館が引き継いだ史料群である。総点数は一七九点で、いずれも厚紙で作成された表紙が、本来の外側に付けられ簡易製本されている。製本された年代は不明であるが、恐らく昭和になってからのことと想定される。一点ごとの記録は、別紙の目録を参照されたい。この目録は上越市立公文書センター勤務の鈴木栄太郎氏が作成されたもので、鈴木氏は同センターが所蔵しているマイクロフィルム(上越市史編さん時に撮影されたフィルム)からこの目録を作成された。

史料は、いずれも厚紙とテープによる簡易製本による同一の装丁で、表紙に「富澤氏蔵書」と印刷されている。旧高田藩家臣団関係の分限帳を集成した『史料集・高田の家臣団』(上越市史叢書5、上越市史専門委員会近世史部会編、上越市発行、二〇〇〇年)において富澤姓の家臣は見当たらず、富澤氏については現段階では不詳である。

史料は、享和元年(一八〇一)から明治三年(一八七〇)の基本的に高田藩と藩主家の榊原家に関するものであり、参勤交代で高田に滞在中の「御在城御用留」、江戸上屋敷の「御在府御用留」、中屋敷の「御用留」、江戸の記録を高田へ送付した「御用書送帳」、榊原家の慶祝・凶事関係の記録「政養君御凶事別記」・「御家督御用書送帳」など、上越市立高田図書館所蔵の「榊原文書」(新潟県指定文化財)、及び上越市立総合博物館寄託「榊原家史料」(新潟県指定文化財)を補完する内容である。江戸中屋敷に関わる記録が存在するのは、隠居した後も隠然として藩政に影響を及ぼした第一一代当主政令が当時中屋敷に居住していたためであろう。また、幕末の政局に関わる文久三年(一八六三)の上洛関係史料や、日光名代御用留などの勤役関係史料なども見え、興味深い。

上越市立総合博物館の花岡公貴氏の研究(「『榊原文書』と藩日記についてー史料学的視点からー」、『新潟県立文書館研究紀要』第9号、二〇〇二年)によれば、榊原家の日記の場合、藩主が存在する方で記されたものに「日記」いう表題を付し、藩主不在の方で作成されたものを「御用留」・「御留守中御用留」と称するという。しかしながら本史料群では、「御在府御用留」、「御在城御用留」のように、藩主が存在する方でも「御用留」という名称が付せられている。一例をあげれば、本史料群の弘化五年(一八四八、嘉永と改元)正月付けの「御在城御用留」(史料番号十三)、嘉永元年一〇月の「御在府御用留」(史料番号十四)などがその例である。この年は参勤年で、第十三代当主政愛は同年五月に高田から江戸へ参勤している。高田図書館には、同年五月までの国元の「日記」と五月以降の江戸藩邸の「日記」が存在する。したがって、この点を解明するためには、本史料群の個々の「御用留」類と高田図書館所蔵の藩政日記との詳細な照合・検討が必要であるが、現段階では今後の課題としておかざるを得ない。