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書物のリレーエッセイ

はじめます!!『書物』のリレー・エッセイ-上教大教員から、上教大の若きあなたへ-

附属図書館は、本学教員による < 「書物」のリレー・エッセイ > を、はじめます。

若者が「本」を読まなくなった、あまりにものを知らない、考えない、などというほとんど根拠のない物言いが、そこらへんから(どこからか、は不明)聞こえてきます。 本当でしょうか。

現代の若者であるあなたは、言うかもしれません。むしろ、スマホやパソコンの画面で、昔の青年よりも多くの「字」に接している、情報量も圧倒的に多い、「知る」ことの内容に大きな変化があるだけだ、と。

しかし、本学の多くの先生方は、こんな印象を持っているように思います。たしかに「字」は読まれているかもしれない 、だが、 「本」は読まれていない、と。 というのも、学生諸君が日常的に接しているスマホやパソコンの画面上での多くの字面は、「書物」ではないと、どこかで思っている節があるからです。

現代の「情報化時代」に、ほこりをかぶったような「本」は時代遅れである、そこにはいますぐ役に立つ情報はほとんど盛られていない、と、もしあなたが考えているようなら、ちょっと待ってほしい。 また、現今の情報化時代、スマホやパソコンの情報を追うのに忙しく、「本」など読んでいる暇がない、というなら、それもちょっと待ってほしい。 「メディア リテラシー」(=あふれかえる情報の中、選択し・読解し・整理し・蓄積する能力、といえばよいでしょうか)は、現今、必須の能力でしょう。だが、そのためにも、「書物」を読むこと、「書物」を読む力が、必要とされているのです。

現代の大学生に、共通教養として読むべき書物群は、もはやありません。「あの本をまだ読んでいないので、恥ずかしい」といった<知的羞恥心>というものも、ないようです。

けれども、まともな若者の一人がつぶやいているのを聞きました。「どんな本を読んだらいいのか、わからない」。

そこで、まことにお節介ながら、そんなあなたのために、本学教員が「書物」をめぐって語ります。「書物」は、知的収穫物・知的遺産として、ふるい昔から「知」的にリレーされて今にあります。「書物」のリレー、です。そして、本欄は、「書物」をめぐるエッセイを、本学教員がリレーします。

「あの先生が、こんな本について語っている」、「わたしの関心に触れる書物が取りあげられている」、など、ちいさな発見があなたにもたらされ、つぎの読書への契機となるならば、幸いです。……思いだすことばがあります。「人は、<情報>を得るためのみに「本」を読むのではない。「深く生きる」ために書物をひもとくのである」、と。この世に最もやっかいな生き物は、人間である、といわれるゆえんです。

連載に、ご期待下さい。図書館運営委員の先生方から、はじめます。(わたしから始めるかもしれません。)

(第18代附属図書館長 下西善三郎)