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『書物』のリレーエッセイ (第8回)

「賢治作品の中で響く音楽」 / 後藤 丹 (芸術系コース(音楽) 専門:作曲)
()内の肩書・所属は掲載当時のものです

私の宮澤賢治好きは亡父の影響が大きい。文学趣味を持った数学教師で、家には家族の顰蹙を買うほど多くの本が溢れていた。特に賢治関係の本は全て購入していたようだ。死後、その賢治コレクションを末っ子の私が引き継いだものの、膨大な分量で、置き場に困るほど。私は作品全部をきちんと読んでいるわけではないので、付き合いは長いものの、賢治ファンを名乗る資格があるかどうかわからない。

賢治は周知のように、レコードで沢山の洋楽を聴いたほか、オルガンやチェロを弾き、歌の創作にまで手を染めた。私は作曲が専門なので、音楽に関わりの強い作品には殊に関心を抱いている。童話では彼の代表作とも言える「セロ弾きのゴーシュ」「銀河鉄道の夜」がそれにあたる。

ところで、生前ほとんど無名だった賢治には原稿のまま残された作品が多い。しかも彼は、際限なく書き換えたり手を加えたりするタイプであり、没後の編集には大変な苦労があったらしい。例えば「セロ弾き」の生原稿は罫線のない、手でちぎったような32葉の紙片に黒と赤のインクで書きなぐってあり、これで最終的によく完成度の高い作品に落ち着いたと感心するほど。「銀河鉄道」は最近の研究によると1~4次稿が確認されており、新しい筑摩書房の全集ではこれを別々に読むこともできる。初期稿と最終稿とでは登場人物さえ一部異なっている。いま「最終稿」と書いたが。これとて途中に欠けた箇所があり、その部分は想像力で補うほかない。

「セロ弾き」はゴーシュが動物たちとの出会いで心を開いて行く過程が小屋の扉や窓に象徴されて緻密に描かれていて見事である。 音楽面ではベートーヴェンの「田園交響曲」が巧みに織り込まれているほか、ゴーシュの弾く音楽が作者のイメージを具体的に伝えていて興味深い。もう20年近く前になるが、本学で、地学の渡邊先生(後に学長)、 国文学の下西、小埜両先生、宗教学の松田先生などと組んで「宮澤賢治」という授業を開講していた。私の担当時間では、 当時在職しておられたチェリストの宇野哲之氏(現在、新潟大教授)に「セロ弾き」の中の曲を実演していただいたのが懐かしい。

「銀河鉄道」の列車内の場面では作者の頭にドヴォルザークの「新世界交響曲」が鳴り響いていたのだろう。 賢治作曲の「星めぐりの歌」も登場する。

詩と童話を両輪とした賢治であるが、詩の方は私にとって(これまでいくつか独唱や合唱用に作曲したにも関わらず)なかなかに難解で少し敬遠していた。それを大幅に解消してくれた本が池澤夏樹著「言葉の流星群」(角川書店)である。小説家で詩人でもある池澤氏が実に平易で論理的に賢治の詩を解読してみせる。これはお勧めの一冊。(2014.2.14)


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