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書物のリレーエッセイ(第5回)

「太宰・三島・開高 ~弱さと強さと達観と~」 / 林 泰成 (副学長)
()内の肩書・所属は掲載当時のものです

高校に入学してすぐに、私は不登校状態に陥った。そうなったきっかけについては、また別な機会に語りたいと思うが、そのとき、自分の気持ちと重なるようで、いわば「はまった」のが太宰治の作品であった。

たぶん、最初に知ったのは、国語の教科書に掲載されていた『走れメロス』だったと思う。その後、『人間失格』とか、『斜陽』とかを読み、「自分の今の気持ちをわかってくれるのは太宰しかいない」などと思い込んでいた。当時は、こういう症状を太宰病と言った。私の周りには、太宰病罹患者がおおぜいいた。

その後、太宰の弱さに嫌気がさして、読み始めたのが三島由紀夫の作品だった。『金閣寺』を読み、弱さを乗り越える力(ときにそれは鬱屈した精神力なのだが)にあこがれた。「豊穣の海」と題された4巻の晩年の作品『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』にも、私は、『金閣寺』と同じメッセージを感じる。一貫した作風も、彼の強さの現れであり、魅力であった。

大学卒業目前の三島は、太宰を囲む会に出席して、「ぼくは太宰さんの文学は嫌いなんです」と面と向かって言ったと伝えられている。そうした二人の関係については、文芸評論家たちがいろいろと書いているが、私はごく単純に、人間の弱さを力で覆い隠そうとした三島は、弱さを乗り越えられない太宰を毛嫌いしたのではないかと思う。

太宰は、38歳で入水自殺している。三島は、45歳で、自衛隊市ヶ谷駐屯地でクーデターを呼びかけた後に割腹自殺している。結局、二人は同じ闇を心の内に抱え込んでいたのではないかと思う。そしてその闇は私の心の中にもあったように思うのである。そのころ、私は、二人の作品に人生を学びながら、あろうことか、自分は45歳を超えて生きられないだろうと確信していたのであるから。

そのころに出会ったのが、開高健の作品である。開高は、従軍記者としてベトナム戦争のまっただ中へ身を投じた。その体験は『ベトナム戦記』というルポルタージュ作品に記されている。 そのときの体験をもとにして、 『輝ける闇』や『夏の闇』などの戦争にかかわる小説を書いている。そうした作品を読んで、最初は、開高もまた、太宰や三島のように、死にたいのではないかと思った。しかし、『フィッシュ・オン』や『オーパ!』のような、 釣りや食べ物のエッセイを読むと、人生を楽しんでいるようでもあった。 あるエッセイの中に、 「漂えど沈まず」という言葉を見つけて、 この人は人生とはこういうものだと達観しているのだと思った。

どこで読んだのかうろ覚えなのだが、開高は、三島の戦闘機搭乗体験を記した作品に、 ふんどしで日本刀を振りかざしている三島本人の写真が使われているのを見て、 「最新鋭の戦闘機になぜふんどしと日本刀なんだ」と三島に直接言ったそうである 。三島からは、 「だから君はだめなんだ」と返ってきた。 この体験記は、たぶん『太陽と鉄』のエピローグ「F104」である。高校3年生の私は、わけもなく、やはり開高はすごいなと思うようになっていた。開高は、58歳で病気で亡くなっている。

私の高校生活の3年間は、 この3人の作家とともにあった。 私は、 自分の心性と合致していると思いながらも生きることのできなかった太宰や三島のような人生を、 彼らの作品から学んだ。 そして、開高の作品から、そうした人生を乗り越える生き方を学んだように思うのである。(2013.6.19)


  • 『金閣寺』,『春の雪』,『奔馬』,『暁の寺』,『天人五衰』,『太陽と鉄』は、三島由紀夫全集に収録されています。(913.68 / Mi 53 / )
  • 『ベトナム戦記』,『輝ける闇』,『夏の闇』,『フィッシュ・オン』,『オーパ!』は、開高健全集に収録されています。(913.68 / Ka 21 / )

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