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『書物』のリレーエッセイ(第12回)

「ライトなノベルなんかじゃない」 / 中山 勘次郎(学校教育専攻長)
()内の肩書・所属は掲載当時のものです

新潮文庫版『十二国記』(小野不由美・作)のシリーズを読み終えたのは,ついこの5月,札幌から帰る飛行機の中だ。本を閉じてため息をつく。久しぶりに,出張の移動時間を忘れられる読み物に出会えた。そして同時に,もう次の出張の楽しみがなくなってしまったのだ。

きっかけは偶然だった。新大阪で,新幹線の発車まで時間がない中,書店で平積みになっていた文庫本を2,3冊ひっつかんで飛び乗った,その中の1冊がシリーズ1作目の『魔性の子』だったのだ。『十二国記』は異世界を描いたいわゆるファンタジーものなのだが,『魔性の子』の舞台は現代日本の高校。十二国の世界はほとんど出てこない。この作品単体で見れば,思春期の孤独感や居場所のなさを共感的に描いた作品,ということになりそうだが,舞台設定はひたすらホラーである。しかも,理不尽にどんどん人が死んでいく類いの,かなり“エグい”ホラーである。その圧倒的な怖さが,かえって主人公2人の悲しみを際立たせている。その不思議な世界にすっかりハマってしまい,後半になってチラチラと影を見せ始める異世界へと,そのまま連れて行かれてしまったというわけだ。

このシリーズは当初,中高生向けライトノベルとして刊行されたものだそうだが(『魔性の子』だけは最初から通常の文庫版),読んでみると,なかなかどうして重厚なストーリー展開で,軽い読み物という先入観はすぐに払拭される。たしかに中高生向けのテーマではあるが,ファンタジーといっても華やかな冒険活劇などではない。妖魔に襲われ圧政に虐げられる過酷な世界の中で,主人公たちはさまざまに悩み,失敗を繰り返しながら成長していく。自分の弱さを受け入れ,背筋をピンと伸ばして運命と対峙しようとする,その姿が潔くカッコいいのだ。

この作品のもうひとつの魅力は,語り口のリズムにある,と思う。古代中国を連想させるこの世界は,人の名前もものの名前もすべて漢字である。当然,ページには難解な熟語があふれている。しかしそれらが,短く力強い文章をたたみかけていく作者の語り口と相まって,独特のリズムと物語世界の雰囲気を生み出している。逆に,油断すると,人名の読み方や誰の名前だったかをすぐに忘れてしまうので,ここで引っかかってしまう人は,ちっとも先に進めないということにもなりそうだ。

そういえばこの作品は,人によって好き嫌いがはっきり分かれるのではないだろうか。それを入口のところで分けているのは,漢字の問題だけではない。十二国の世界の設定が,ある意味相当に“雑”なのだ。国の配置はゲームボートの盤面のように幾何学的だし,物語を成り立たせる基本的な状況設定も,なにやらそのへんのRPGにありがちな設定だったりする(作者の意図は,シリーズを読み進めていくうちに,なんとなくわかってくるのだが)。

そういう私も,以前この作品が,アニメシリーズとしてTVで放映されていたときに,たまたま見たことがあるのだが,冒頭に出てくる幾何学模様の地図と,普通の女子高生がある日突然異世界にワープして女王になるという筋立てと,銀色長髪イケメンの相方の登場にげんなりして,ものの5分もたたずにチャンネルをかえてしまった一人である。迂闊であった。もう少し我慢して見ていれば,物語の奥深さに気づき,もっと早くに原作を手にとっていたかも知れないのに。この入口での違和感さえクリアできれば,あとは十二国の物語世界にどっぷり浸り,時間を忘れて楽しめることは請け合ってもいい。

さて,十二国の物語はまだ完結していない。それどころか,短編集を除くシリーズ最終巻は,あまりに中途半端に終わっていて,どう考えても続編がなければ収まりがつかない。まるで上下巻構成の上巻といったおもむきなのだ。にもかかわらず,もう15年もの間,「下巻」は刊行されていない。いったい,どうなっているのだろう。公式サイトには,次回作は執筆中であるとの情報があがっているから,とりあえず,作者は続編を投げ出したわけではなさそうだが,その告知からもすでにだいぶ時間がたっている。きっと古くからのファンの人たちは,首を長くして次の1冊を待ち続けているのだろう。私もその待ち行列の最後尾で,楽しみに待っている。(2015.9.25)


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