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『書物』のリレーエッセイ(第18回)

本が教えてくれたこと / 大庭 重治(理事 兼 副学長)
()内の肩書・所属は掲載当時のものです

人生60年も生きていると,本当にたくさんの本に出会った。その多くは研究のために手に入れた本だが,それ以外に折に触れて貴重な示唆を与えてくれた本もある。ここでは,それらのうちの4冊を紹介する。

まず,私の研究の根幹には『知覚と行為』(ザポロージェツ編著,新読書社)という本がある。50年以上も前に,人間の心理にとっての主体的,実践的活動の重要性を説いた本であり,研究を進める上で決定的な役割を果たしてきた。恩師がソビエト心理学の大家であったことから,大学でロシア語を学び,ソビエト心理学を読んだ。この本には有名なヴィゴツキーの思想が反映されており,人はまさに人とのかかわりの中で物事を理解し学習することを教えてくれた。アクティブ・ラーニングの発想は決して今に始まったわけではない。

その後,本学に赴任し,教育者として30年が過ぎた。振り返れば,多くの院生さんと長い長い道のりを共に歩んできた。5,6年前に,この状況を的確に代弁してくれる『あしあと−多くの人々を感動させた詩の背景にある物語−』(マーガレット・F・パワーズ,太平洋放送協会)という本に出会った。この中で,教師であった著者がFootprints(あしあと)という自作の詩を紹介している。クリスチャンでもない私に「主」のかかわり方を分かり易く感動的に教えてくれた(内容については,ここでは触れないでおきます)。ところで,この本の出版には別の意図があり,それがまた興味深い。実はこの詩,長い間作者が不明だったため,多くの人によって勝手に自作の詩のごとく使い回されていたようである。このため,副題にあるように,『あしあと』という詩を書いた経緯を詳しく紹介し,自分が真の作者であることを証明しようとしている。真実はわからないが,少なくとも多くの人が有名な詩を巡って剽窃という行為に走ったことは間違いない。

昨年度からは大学運営に係わるようになり,これまで以上にコンプライアンスに注意が向くようになった。そこで,これも比較的最近読んだ『武士道』(新渡戸稲造,PHP研究所)を紹介する。武士道とか聞くと,昔の封建社会の話しか,それとも何か怖い世界の話しかと思うかもしれないが,そうではない。著者の新渡戸稲造もまたクリスチャンであり,「宗教がない日本で,道徳をどう教えるのか」という問いに答えるためにこの本を書いている。その中で,「私を生んだのは親である。私を人たらしめるのは教師である」と,教師には優れた人格と恵まれた学識が必要であることを説いている。道徳が教科化されることになった今,世の先生方はこの本をどのように理解されるのだろうか。

4冊目は,この原稿の依頼を受けて改めて読み返した本である。高校までは静岡県の浜名湖の近くで育ち,歳をとっても海に憧れて船舶免許を取得した。しかし,ついぞ船を手に入れることはできなかった。そんな時に思い出した本が『老人と海』(ヘミングウェイ,新潮文庫)だった。老人は久しぶりに大物のカジキを仕留め,それを舟の縁に結びつけて持ち帰ろうとした。ところが,途中で鮫の群れに襲われてしまい,港に戻った時には獲物はすっかり残骸と化していた。海に出てこんな目に遭いたくはないものの,大海で闘う老人の姿になぜか親近感を抱いてしまう,そんな本である。

現在も読んでみたい本はたくさんある。しかし,残念ながら読書に耽る余裕がなくなっている。武士道を読んでいた時に,ふと「十七条の憲法」が気になり,その背景を知りたくて梅原猛の『聖徳太子』(集英社文庫)を手に入れた。4冊に分かれた2000ページ近い大著である。今は部屋に積んだままになっているので,引退したら真っ先に読もうと思っている。しばらくはその日が来るのを楽しみにして待つことにする。(2018.6.13)


当館蔵書の『武士道』はPHP研究所刊ではありません。ご了承ください。

当館蔵書では『老人と海』邦訳は中央公論社「世界の文学」44巻で読めます。新潮文庫版は未所蔵です,ご了承ください。

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