スマートフォン版公式サイトは終了しました。

ホーム書物のリレーエッセイ→廣瀨 裕一 先生

本の検索


書物のリレーエッセイ(第4回)

「老子の感化」 / 廣瀨 裕一(教育実践リーダー・学校運営リーダーコース)
()内の肩書・所属は掲載当時のものです

お薦めは、この春完結した『若井彌一著作集』全五巻(協同出版)。教育問題を法的に考察した前学長の貴重な業績の集大成である。ただし、私はまだ読んでいない!え?いや、もちろん、元原稿やゲラには何回も目を通しましたよ。編集委員として。

各巻は渋い赤茶色の函入りだが、これは我が思い出の書物の装丁に倣ったものである。

老子』を読んだのは、高校三年の時。『荘子(上)』とともに明治書院「新釈漢文大系」の赤茶色の函に収められた一巻だった。「無為自然」の逆説に引き込まれ、夜が更けゆくのを忘れた。理想は、世俗的価値の対極にあると思った。 「学を絶てば憂い無し」という一節もあった。 読み終えて、夜が明けた頃に悠々と寝た。 目覚めると昼近く、学校には半日遅刻。叱られるかと思いきや、 担任は「老子を読めば、さもありなん」と笑い、 廣瀨少年はあっさり無罪放免となった。爾来、怠け癖がついて今日に至る。研究に勤しむべき学生には、お薦めしかねる書物である。

私は教員をしてきたが、本当は農業に憧れていた(いる)。小さい頃、母の里で稲刈りを手伝い (邪魔し?)、 秋晴れの空のもとで金色の稲穂を手にした記憶がある。 祖父母らの笑顔と重なるこの原体験が、 老子の説く自給自足のユートピア「小国寡民」と共鳴した。 すっかり感化され、受験勉強はろくにしなかった。一応大学に進んだが、実利に遠く就職の役にも立たない哲学を専攻し、将来は農耕生活をしたいとぼんやり考えていた。しかし、街なかの廣瀨家には農地がない。 卒業が近づくにつれて、その現実を受け入れざるを得ないと観念するに至り、とりあえず、学校の先生になった。

そんな不謹慎な経緯で教職に就いた者が、やがて県の教職員人事を担当し、採用試験の受験者に「教員を志望した動機は?」などと質していたのだから、笑っちゃうよね。 そして今、教育大学の末席を汚し、教員の在り方などをすました顔で講じながら、 こそばゆい思いを抑えかねている。

ちなみに、私は毎日ジョギングで通勤している。宿舎と大学間の約5キロ。 健康のため、とかではなく、四季の自然を愛でながら走ること自体が愉しいから。 車は一応持っているが滅っ多に乗らない。冷房も嫌いである。 夏は窓とドアを全開して自然の風を通わせるのが快適で、猛暑の日も研究室の空調は使ったことがない。 宿舎には扇風機しかない。テレビもない。車Carに頼り冷房CoolerをかけてテレビColorTVと過ごすような生活を好まず、たっぷり汗を流し暑いねえと笑いながら一杯やる生活を愉しんでいる。

農業の夢は未だ実現しないが、老子の感化は今も現成しているようだ。(2013.5.20)


※ご感想をお寄せください。e-mail gservice @ juen.ac.jp